ハイチ地震救援

活動報告

福岡赤十字病院 外科医師 井上重隆 (派遣期間:平成22年2月21日~3月22日)

ハイチの様子の写真 2010年1月12日、マグニチュード7.0の地震がハイチの首都Port au Priceとその周辺都市を襲いました。ハイチは1804年に世界で初めての黒人の独立国家として独立して以来、繰り返すクーデターにより貧困、治安の悪化になやむ国で、2004年からは国連の多国籍軍による治安維持活動が行われていました。被災者は総人口の1/3にあたる約300万人とされ、死者は20万人を超えたといわれています。
 この大災害に対して日本赤十字社は発災直後より救援チームをおくり現地の医療支援を開始しました。今回、第2班として2月23日から1ヶ月間現地で医療活動を行いました。

ハイチの様子の写真 ハイチはカリブ海に浮かぶ熱帯の国で、日中は気温が35度から40度になる非常に日差しの強い暑い国でした。現地の人々はアフリカ系の黒人がほとんどです。現地にはいると空港の近くの広場には無数の粗末なテントがならび、避難した人々がキャンプをつくって住んでいました。既存の建物のほとんどはブロックを固めただけの建物で非常にもろく、ばらばらに崩れ落ちており、大きなビルも2,3階が1階をつぶしてしまう、いわゆる「パンケーキクラッシュ」という状態のビルが多数みられました。被災して一ヶ月経過していましたが、街の中の瓦礫はほとんど被災当時のままでした。

 今回は国際赤十字・赤新月社連盟のERU(緊急対応ユニット)メンバーとして派遣されました。ERUとは大規模災害発生時、緊急派遣可能な資機材と訓練された専門家の総称です。日本赤十字社のERUは基礎保健ERUという機能を備えており、現地でテントをたてて外来診療、小手術、母子保健指導、衛生指導、出産などを行うことができます。実際にはクリニックによる診療を首都であるPort au PriceとLeoganeという都市で行い、その他に医療支援の乏しい遠隔地へ車で出向いて診療を行う移動診療、キャンプにすむ人々の感染症の流行を防ぐためのワクチン接種事業を行いました。

ハイチの様子の写真 クリニックでの診療は地元の医師2名、看護師らとともに行いました。ハイチの公用語はフランス語から派生し、アフリカの言語と混ざったクレオール語という言語です。現地の人と会話するには日本語ーフランス語ークレオール語もしくは英語ークレオール語の通訳が必要で、1-2名の通訳を介しての診療となります。その点地元の医師、看護師は直接患者さんと話をすることができ、避難生活によるストレスからくる症状を訴える患者さんへの対応には大きな力となってくれました。また、マラリアやデング熱、チフスといった熱帯病の診療経験の少ない我々にとっては治療のアドバイザーとして、治療法を議論しながら診療を行いました。被災後1ヶ月から2ヶ月という時期だったので地震でけがを負った患者さんもいましたが、腹痛や不眠などのストレスによると思われる症状を持った患者さんがかなり増えていました。

 移動診療は前日から診療機材、薬剤をコンテナにつめこみ、早朝から車に積み込んではなれた避難民キャンプへ出向いて行いました。ときには学校の校庭に設置された日よけの下で、ときにはマンゴーがたわわになる木の下の日陰で診療を行いました。診療を開始するとどこから集まるのか、あっという間に長い行列ができます。通訳を介しての診療となるため診察できる患者さんの数には限りがあり、毎回途中で受付を終了せざるを得ない状態でした。

 ワクチンも同様に避難民キャンプへ出向いて一日1000人くらいの人々にワクチン接種を行いました。日本では当然のように接種されている破傷風、百日咳、ジフテリア、麻疹、風疹のワクチンの摂取率は驚くほど低く、キャンプで集団生活をしているところに麻疹などの感染力、病原力の強いウィルスが広がると多くの犠牲者がでます。これを防ぐべく赤十字社全体で15万人以上の人々にワクチン接種をおこないました。

 ハイチは元々政府の基盤の弱い国で海外からの支援を必要としている国です。さらに今回の大災害の被害が加わり、今後の復興支援は難しいものとなるでしょう。倒壊した建物をどのように整理し再建していくのか、公共サービスの復興はいかに行うのか、長期間にわたる医療サービス提供をどのように行うのかなど問題は山積しています。日本からは地球の反対側にある非常に小さな国ですが、彼らの懸命に生活する姿に接して今後もみなで関心を持ち続け、支援していく必要があると感じました。

ハイチの様子の写真
ハイチの様子の写真